家族みんなが笑って話せる日がきた①

実は



私自身、今日まで





家族みんなが笑って話せる日が

きっと自分が生きてる間に来ないと思ってた

けれど心の奥底ではずっと願ってた

笑って話せる日がきてほしいって…






私、romiは約30年くらい前に


千葉の人口が多くも少なくもない地に


公務員の父と専業主婦の母の間に、また4つ上の兄がいるごくふつうな家庭で生まれました。

私生まれた時、ギリギリ未熟児を免れて

病院で生まれた直後、私はまさか、

周りがびっくりするほど、また建物の壁が壊れ

るんじゃないかという勢いの産声をあげて

生まれてきたという母の話が

今でも信じられない思いです。

それから小さかった面影はなくなり、

すくすくと育っていきました。



しかし、大きくなるにつれて…

かすかな遠い記憶を辿っていくと

やがて、家の中では

父と母が、なにか怒りながら話をする声ばかりが耳から聴こえてくるようになっていきました


当時から父は家族のために毎日バリバリ仕事を

こなし、一家の生活を支えてくれ、

一見、周りからみれば、
生活には苦労もせず幸せそうな家庭だったんじゃないかなと…

なんとか思いたかったのですが

決してそうではありませんでした。




3、4歳になり、周りより少し早く幼稚園に
通うことになったこと…

それは母が4つ上の兄に手がかかるからと
いう理由だったと聞いた


そう4つ上の兄は、世間でいわれる知的障害を持って生まれてきていたのです。

しかし、私はそのことに大きくなってからも嫌悪感や偏見を感じることはありませんでした。

しかし、父からみたら

自分の息子が知的障害者であることを

周りに知られたくなかったと、大きくなって
母から話を聞きました。

兄の存在を受け入れられない父

兄の存在を認め続けようとする母

両者の言葉は日に日にぶつかっていくばかりで

止まる気配はありませんでした

その光景が今でもうっすら思い浮かぶたび

今でも涙がでてきます…



長くなり、かなり画面をみる目が霞んできたので

次回に続きます。